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天才の全力投球~モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番~第19番(ハイドン・セット)

10 1月

モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番~第19番(ハイドン・セット) / クイケン四重奏団
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 とにかく子どもの頃からモーツァルトが苦手だった。《ジュピター》とか《交響曲第40番》といったごく少数の例外を別にして、もうそれはにんじんとか里芋とかのレヴェルで苦手…おっといかん、前回とまったく同じ出だしになってしまった。 

 要するに、モーツァルトとベートーヴェンという二大巨匠が苦手だったんですよ、ええ。またここで恐るべき無知蒙昧をさらけだしますが、要はこう思っていたんですね。「モーツァルトなんて、きれいなだけで退屈じゃん」―うわあ恐ろしい。おまけに芥川也寸志さんのエッセイに、「子供の頃親の影響でストラヴィンスキーの《火の鳥》とかそういうものを自然に聴いていたので、モーツァルトやベートーヴェンがえらく単純な音楽に聴こえた」という文章が出てきたので、それで自分を正当化したりね。ひいい。この連載、相当自爆ネタを連発してます。

 今から思えば、言い訳めくがモーツァルトに付随してくる神話のブライトネスのせいも多分にあったと思う。何でそんなにご立派なのか?何がそんなに「神童」であり、「天才」なのか? 若くして死んだ夭折の天才、それだけで不可触のレッテルを貼られているのが気に入らん。この「巴塾」の連載をご覧の通りどちらかといえばアナーキーにクラシックに足を踏み入れていった僕は、純粋性の極みのようなモーツァルトに対して無意識の反発心を覚え、音楽自体の価値もそれとごっちゃにして「自分にはあまり縁のないもの」と決め込んでいたのである。まったくもって、おめでたい話もいいところだ。

 でももちろん、そうじゃなかった! モーツァルトは本当にとてつもない音楽家だった!…あっ、またここまでの流れが前回と同じに。

 「そろそろいいかげんにしろ」と呆れ始めている皆さんに言い訳しますが、こんな風に作曲家の印象を画一的にしてしまうのは、日本の音楽史教育のせいもあると思うんです。が、その話題はまた今度。最近は変わってきているのかもしれませんが…。

 では、ベートーヴェンを「パンク」として理解した僕は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)をどう理解したのか?

 それは、「踏み越えてしまった人」という認識である。

 前回話したことをもう少し詳しく語るならば、18世紀の中葉は啓蒙主義の時代であり、「神」による調和(バッハについて書いた本連載の第3回参照)を依然尊重しつつも、人間の理性(神から与えられたもの、という前提の上でだが)の力を信じ、世界の法則性をそれによって理解し得るという思想が広く行き渡った時代である。音楽も例外ではなく、それまでのバロック期の音楽よりも、ソナタ形式に代表される明快な構築性、つまり理詰めで構造をわかりやすく分解でき、しかも極端な情念の表出や即興性は控えめになる、「理性によって管理された」音楽が主体となってゆく。その最大の存在がハイドンで、上記の特徴を踏まえながら、規則と存分に遊び戯れ、機知と知略に溢れ、聴く者をすがすがしくも深い音楽の喜びにいざなう、そんな古典派の理想の究極形というべき音楽を生み出したのだった。

 僕はほんとうに心からハイドンが好きなのだが、そのハイドンをたっぷり聴いた後にモーツァルトを聴くと、彼の立ち位置がよくわかってくる。

 すべての曲が、というわけではないかもしれない。だが、モーツァルトの楽曲は、ある時期以降ははっきりと、常にどこかしら異常な事が起こっている。まったく魅力的な旋律の、内声に聴こえる影のような半音階。予想を裏切るハーモニーの展開。くるくると音階を駆け廻りながら、聴き手を異世界の淵ぎりぎりのところまで連れて行き、不安になる直前で何食わぬ顔でもとの笑顔に戻ってしまう。

 モーツァルトはしばしば、愉しみつつ、聴き手を試している。みんなが大好きなこの曲の裏側で、僕が舌を出しているのに気づけるかい。紳士的な笑顔の裏側で、罠を仕掛けているのがわかったかい。あまりにも自然に聴こえる音楽が、実はとてつもなく手の込んだ仕掛けからできているのを聴きとってくれた?

 このようなモーツァルトの策略をまず聴きとるには、実はオペラがふさわしいのかもしれない。選ばれた台本には、まぎれもなく「それを選んだ」モーツァルトの意志があるからだ。《コシ・ファン・トゥッテ》の恋人交換ゲームは、不道徳の領域に片足をつっこみながらも、「女性はもっと解放されるべき」という暗黙のメッセージを音楽に隠し持っている。《フィガロの結婚》は、もうはっきりと貴族優位の社会に対する階級闘争だ。そして《ドン・ジョヴァンニ》は?稀代の女たらしの悪役主人公、あらゆるルールと拘束を笑い飛ばし、破滅するこのトリックスターに、彼が自らを投影していないとどうして言えるだろう?ドン・ジョヴァンニの地獄落ちを喜ぶ最後のハッピーな六重唱のわざとらしさといったらどうだ!モーツァルトが量産したあのイノセントなのか悪意なのか判断がつかないほど悪ふざけに満ちた、スカトロジックな手紙の数々を読めば、モーツァルトがドン・ジョヴァンニと彼を糾弾する側のどちらに立っているかは明らかだ。

 モーツァルトは、郷里ザルツブルクから飛び出し、ウィーンで自立した音楽家として生きようとした。それは、貴族のお抱え音楽家か教会の音楽家として生きる事が常だった当時の音楽家の中でも、先進的な姿勢だった(そういう音楽家が他にもいなかったわけではないが)。そしてモーツァルトは当初大きな成功をおさめた。だがその音楽は―上記のような数々の逸脱の末に―人々の理解を超え、作品は徐々に受け容れられなくなり、最終的には借金を抱えての36歳での死が待っていた。「個」であろうとした天才は、社会とのゲームに敗れ去ったのだ。意識的か無意識的か、彼は当時の社会を「踏み越えて」しまったのだ。「芸術」という題目のもとで社会をひれ伏させる荒技は、前回書いたように、市民革命の時代のベートーヴェンという巨魁の登場を、待たねばならない。

 その音楽は、啓蒙主義の時代の「理性の規則」の範囲内にぎりぎりとどまることで、もしかしたら半分は誤解の文脈のまま神話化(すなわち、天使のように清らかなモーツァルト)されてしまった。そしてその神話は今も有効である。α波を出して人の心を「癒す」モーツァルト! 頭が良くなるモーツァルト! 野菜の発育に効果的なモーツァルト!天国のモーツァルトは、自分が仕掛けたゲームに200年以上後の人間がひっかかっているのを見て、にやにやしているかもしれない。むろん、モーツァルトの音楽が常に性格の悪いいたずらだ、などといった暴言を吐くつもりはない。それは眩暈がするほど美しく、呆然とするほど霊的な瞬間を恐ろしいほどたくさん有している。そのような側面と、危険な綱渡りを試みるトリックスターの側面が、危うく同居しているのがモーツァルトだと思うのだ。要は…いやになるほど陳腐な結論だが、「天才」ということだ。でもこうつけ加えよう、真の天才とは光と闇の双方を、境界線の区別がつかないほどめまぐるしく僕たちに見せつける存在なのだと。

 そんなモーツァルトの作品の何を選ぼうか。むろん前述のオペラでもいい、ピアノ協奏曲は名曲ぞろい、後期交響曲と言ったらそれはもう、ピアノ・ソナタを忘れるな、クラリネット協奏曲&五重奏曲を忘れたら天誅が下る、レクイエムはどうした、要するにきりがないのだが、僕が選びたいものはしかしながらはっきりしている。それは23曲残された弦楽四重奏曲のうちの第14~第19番、いわゆる「ハイドン・セット」と呼ばれる曲集である。

 なぜこの曲集なのか。そこには、モーツァルトの死力を尽くした全力投球の記録が刻まれているからだ。いや、モーツァルトの全力投球の曲はたくさんあるのだけれど、この曲集にはちょっと特別な意味がある。

 つまりそれは、ハイドンに捧げられた、ということだ。

 24歳年長のハイドンのことを、モーツァルトはとても尊敬していた(そしてハイドンも、モーツァルトの天才を認めていた)。同世代だろうが年長者だろうが自分の周囲の音楽家を手紙の中でバサバサ斬って捨てているモーツァルトだが、ハイドンには心からの敬意の念を抱いていた。特に弦楽四重奏(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ各1)のために、当時の新作「作品33」の6曲で比類ない達成を果たし、誕生間もないこの曲種を未曾有の高みに押し上げたことに。そしてモーツァルトは、ハイドンの高みに近づきたいという熱望と創作意欲に駆られ、この6曲の弦楽四重奏曲(当時は、6曲をセットにして出版するのがひとつの定型だった)を手がけたのだった。完成に有した期間は1782年から1785年の足掛け4年。むろんその間にモーツァルトは他に膨大な曲を書いているわけで、その超速筆ぶりを考えれば、いかにこの曲集の完成に時間と労力をかけたかがわかる。事実、この6曲のためのスケッチや断片、書き直しや修正の跡、打ち捨てられた稿は相当な量に昇り、玉つきをしながら曲を書いていた、といったモーツァルト神話が少なくともこの曲集に関してはまったく当てはまらないことがわかる。

 実際、完成した作品の密度とヴァラエティは恐るべきものだ。とにかくⅠ小節ごとに凝らされた創意と工夫、天才的な発想に、一瞬たりとも気が抜けない。最初の第14番ト長調K.387からして、明るく弾むような出だしから大胆な強弱や半音階の嵐。終楽章は《ジュピター》交響曲の最終楽章を4つの弦楽器でやってしまうような、フーガとソナタ形式の離れ業的融合。第15番ニ短調K.421(417b)は擬バロック的な厳格さと、ほとんどロマン派的暗さがぶつかりあう異色作。第16番変ホ長調K.428(421b)は調性に反し、幾重にも折りこまれた複雑な陰翳の濃さが強く印象に残る。第17番変ロ長調K.458は、《狩》の俗称が示すように、ここまでの3曲の異常な重さを解放するような屈託のない明るさにあふれているが、曲の重量を軽くすることに苦心したのかこの曲が作曲に一番時間がかかっている、というのが実にこの時期のモーツァルトらしい。そして僕が一番好きなのは、というか畏怖すら覚えるのは、第18番イ長調K.464。抒情的な表情を持つ作品なのだが、見かけに反しとんでもなく精緻なポリフォニーの織物が編まれており、何度聴いても驚異の念を禁じ得ない。長大な変奏曲を聴いているとどこか別世界に運ばれていくようだし、半音階の奇妙な動機で始まる終楽章は、まるで植物の成長を高速撮影で観ているような驚くべきポリフォニーの大伽藍が気づかれてゆく。途中に突如として現れるコラールの神秘的な静けさ。そしてさりげない終わり。もうベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲と精神的に通じあう世界が、そこにはある。そして、にも関わらず、あまりにもその音楽は突き抜けて明澄なモーツァルトなのだ。そして最後の第19番ハ長調K.465、通称にもなっている冒頭の異常な不協和音の霧が晴れると、あとは霊感の爆発に次ぐ爆発。無窮動的、スパイラル状に高みを目指して昇り詰めてゆく終楽章は全6曲を締めくくるにふさわしい大フィナーレである。

 この曲集を通じて、モーツァルトは弦楽四重奏曲というジャンルを、さらなる高みへと運んでしまった。これほどの達成の後、違った形でベートーヴェンがまたもや途方もない達成を成し遂げてしまうのだから、ロマン派の作曲家たちが弦楽四重奏曲を書けなくなってしまうわけである。ここにあるのは、イチローのスーパープレーを集成したような、「天才の全力投球」なのだ。

 最後に、モーツァルトがハイドンにこの曲集を献呈するにあたって添えた献辞から一部を抜粋しよう。

「わが親しき友ハイドンに。
 広い世の中に、自分の息子たちを送りだそうと決心した父親は、彼らを、幸運によって最良の友となった、今日のもっとも名高い御人の庇護と指導とにゆだねるべきものと考えました。高名な御人にして、わが最愛の友よ、ここに彼の六人の息子(矢澤註:6曲の弦楽四重奏曲のこと)がおります。彼らは、まことに長くつらい労苦の結実ではありますが、しかしいくたりかの友人が与えてくれました、少なくとも一部は労苦も報われようとという希望が私を元気づけ、またこれらのものがいつかは私にとってなんらかの慰めになるだろうと私に期待させてくれるのです。(中略)それゆえ、ご寛大にもすすんで彼ら(矢澤註:6曲の弦楽四重奏曲)をお引き取り下さい。そして、彼らの父親とも、導き手とも、また友人ともなってください!(後略)」[海老澤敏・訳]

 この謙虚さ。この、うわべのへつらいとは無縁の、心からの献辞。

 そしてハイドンは、1785年の1月と2月にこれら6曲の試演を聴き、モーツァルトの父レオポルドに、こう言ったという。「誠実な人間として、神の前に誓って申し上げますが、ご子息は、私が名実ともども知っている最も偉大な作曲家です。様式感に加えてこの上なく広い作曲上の知識をお持ちです…」

 そう、この曲集は、「天才の全力投球」以上のもの、2つの偉大な魂の交流の記録なのだ。

 演奏は、クイケン四重奏団のものを。ピリオド楽器による演奏で、派手な身ぶりや合奏の切れ味で天才性を強調するのではなく、このような曲が生まれることの驚異を演奏者自身が感じながら奏で、それを僕たちも共有できる、そんな演奏である。この演奏で僕はこの曲集に開眼することができたので、感謝と共に。

Text by 矢澤孝樹

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モーツァルト:ハイドン・セット / クイケン四重奏団 (コロムビア COCO-70684,70685,70686)

[Disk:1]
1. 弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」
2. 弦楽四重奏曲第16番変ホ長調K.428(421b)

[Disk:2]
1. 弦楽四重奏曲第17番変ロ長調K.458「狩」
2. 弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387

[Disk:3]
1. 弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421(417b)
2. 弦楽四重奏曲第18番イ長調K.464

演奏:クイケン四重奏団

モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番~第19番(ハイドン・セット) / クイケン四重奏団
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投稿者: : 2013年1月10日 投稿先 1.Classic(クラシック)

 

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