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青筋を立てて笑え~ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 作品93

13 12月

ベートーヴェン:交響曲全集 ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
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 とにかく子どもの頃からベートーヴェンが苦手だった。《田園》とか《第9》といったごく少数の例外を別にして、もうそれはピーマンとかしいたけとかのレヴェルで苦手だった(念のため、僕は幼少の頃好き嫌いの多い虚弱児だったが、今は何でも食べます。ゴーヤでもパクチーでも鮒ずしでも牛の睾丸でもなんでも来い、です)。《英雄》なんて、第2楽章の長さにもう死にそうだった。《第5(運命)》も第2楽章で死んだし、終楽章のあのくどすぎるコーダには別の意味で死んだ。交響曲でそんなだから、室内楽やらピアノ・ソナタやら、手をつけもしない。今から思えば、言い訳めくがベートーヴェンに付随してくる伝説のオーラのせいも多分にあったと思う。何でそんなに偉そうなのか?何がそんなに「楽聖」なのか? 聴力を失うという苦難を乗り越えた不屈の人、それだけで不可侵のお墨つきをもらっているのが気に入らん。この「巴塾」の連載をご覧の通りどちらかといえばオルタナ的角度からクラシックに足を踏み入れていった僕は、権威の極みのようなベートーヴェンに対して無意識の反発心を覚え、音楽自体の価値もそれとごっちゃにして「自分にはあまり縁のないもの」と決め込んでいたのである。まったくもって、おめでたい話もいいところだ。 

 でももちろん、そうじゃなかった! ベートーヴェンは本当にとんでもない音楽家だった! というあたりまえのことに気づきはじめたのは、やっと20代も半ば以降だったのではないか。でも再び言い訳しよう、「楽聖」とか「偉人」とか、19世紀に創られた、あのベートーヴェンがギリシャ神話の神様よろしく全裸に古代ギリシャのヒマティオンみたいなものをまとっている彫像とか、そういう後の時代にくっつけられたイメージは、絶対ベートーヴェンを人から遠ざける要因になっていると思うんだよ。人のせいにするつもりはないが、誰かが僕に10代のうちに耳元でささやいてくれたら、僕のベートーヴェン観はもっと早く変わっていたかもしれないのだ。そう、こんな風に。

「だってベートーヴェンは、パンクだろう?」

 そう、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)はパンクだ。もしあなたがベートーヴェンの音楽に僕と同様の抵抗感を覚えて、しかもロック好きだというなら、僕はそう言いたい。ベートーヴェンは、セックス・ピストルズのように野蛮で、パブリック・イメージ・リミテッドのようにラディカルで、クラッシュのようにロマンティックだ。ついでに、グリーン・デイのようにキャッチーかつ壮大、と言ってもいいかもしれない。フランス革命期の申し子として、貴族社会の黄昏の中を平民の子から成り上がり、俺は宮廷や教会に使える僕(しもべ)じゃねえ、てめえらの聴きたいように書くんじゃなくて俺が書きたいように書くんだ、わかったか! 50分もかかる交響曲を聴け! 神話や伝説に現実逃避してないで、この革命的オペラを観ろ!と、「個」の声をその音楽に注入し続けたパンク野郎、それがベートーヴェンなのだ、と僕は思っている(まあ無論、ベートーヴェンも金稼ぎのための曲や権力者へのお追従の曲もたくさん書いていますが。なかなかの戦略家なのだ)。そうして、パンクがニュー・ウェイヴを生み、のちにグランジやオルタナへ隔世遺伝してゆくロックの「反抗の四半世紀」を、いわばベートーヴェンはまるごと一人でやってしまったようなものだ。既存の社会の枠に収まりたくないからこそ、あの音楽はあれほどエネルギーに満ち、過激で、ときに見かけの美しさをかなぐり捨て、地団太を踏み、勝利の確信を得るや否やこれでもかと凱歌を奏でるのである。「権威」どころではない、手のつけられないほどのアヴァン・ギャルドだ。年末にみんなが歌う《第9》だって、初演からしばらくは理解を超えた問題作として賛否轟々だったのだから。では誰がベートーヴェンを「権威」にしてしまったのか?これについては一冊の本が書けるくらいの話だから、ここでは詳述しない。だが、最前衛のクリエイターがやがて古典になってゆくことはピカソやジョイスの例を持ち出すまでもない。いっぽう、ブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』が痛烈な反戦歌だったのに政治家によってアメリカ礼賛の歌に読みかえられたような「意識的誤読」という奴もある。こいつは厄介で危険だ。ベートーヴェンにはその両方が機能したのだと思う。

 べートーヴェンの凄さがわかったのは、たぶん《第7》のリズミックなカッコ良さに目覚めたあたりからかもしれない。あんなに盛り上がる、ロック的高揚に満ちた終楽章はない。あれで「何だ、こんなに問答無用にカッコいいのか」と、自分の中の壁に亀裂が入ったのだ。『のだめカンタービレ』がまずあの曲で盛り上がったのもよくわかる。とにかく今はベートーヴェン、大好きである。《英雄》、50分もかかるのにこんなに中身がぎっしり詰まってはちきれんばかりの体験をさせてくれる交響曲があるだろうか?ピアノ・ソナタは第1番から最後まで、その時々のベートーヴェンのもっとも先鋭な実験工房だ。《ミサ・ソレムニス》、なんと雄大な、「個」の時代の神への信仰表明だろう。そして後期の弦楽四重奏ときたら…。

 本当は、ベートーヴェンの凄さを体感するには、あらかじめその前の世代、ハイドンやモーツァルトの音楽を聴いておくのがわかりやすいと思う。その「踏み越え方」がよくわかるからだ。これだけ刺激的な音楽が満ちあふれている現代において、ベートーヴェンの斬新さを体感するには、いったん頭を「ベートーヴェンを初めて聴く19世紀人」に戻してみるのが効果的と思うからだ。そんな手間をかけられない、というなら、最近は、「ピリオド楽器(古楽器)演奏」という演奏のアプローチがある。つまり、楽器や奏法を、その作曲家が生きていた時代に採用されていたタイプに戻して演奏しよう、という方法論だ。すべからくうまくいくとは限らないが、すばらしい演奏なら、当時の楽器の能力の限界ぎりぎり、あるいはそれを超えた要求をするベートーヴェンのワイルドでパンクな実像をスリルたっぷりに味わえる。新幹線で一気に駆け抜けたら見えない風景が、蒸気機関車なら坂の上がり下がりの体感まで含めてまるごと味わえる、そんな感じだろうか。

 何がベートーヴェンの凄さか、を具体的に説明し始めたら紙数がいくらあっても足りない。ここでは抽象的な言い方をしておくが、要するにハイドンという人が古典派からそれ以降の音楽の「モデル」をきちんと整理してその中で存分に遊び戯れたなら、モーツァルトは半ば無意識に天才的かつ危険なまでに魅力的なルール違反をあちこちでやらかし(それゆえに早世した?)、ベートーヴェンは確信犯的に力業でそれを「オレ流」にねじまげた、という感じだろうか。あまりにも強烈な「オレ言語」をその音楽の中で達成してしまったので、後に続く人はえらく苦労する。前回お話しした「病めるロマン派」の要因は、この、「偉大すぎるオレ様」ベートーヴェンによるところが相当大きい(むろんそれだけでなく、19世紀前半の反動体制とか、いろいろあるのだが)。

 さてベートーヴェンの何をここでご紹介しようか。ここまで挙げた曲はどれも存分にその「オレ性」を体感させてくれるもので、どれを取り上げたっていいのだが、僕としては、最初のあたりで書いた「偶像」「聖人」ベートーヴェンを気持ちよくぶっ壊してくれる曲を選びたい。では、「苦悩するベートーヴェン像」をひっくり返してくれる要素とは何か?

 それは「笑い」である。

 ベートーヴェンは悩んでいたばかりではもちろんない。そもそも、難聴に陥る前のベートーヴェンは、決して人づきあいが悪い気難しい人間というわけではなく、ちゃんと社交界に人脈を築いている。そして、その音楽にはユーモアがいっぱいある。それは、《ふとっちょ礼賛》とか《そうしなければならぬ!財布を出せ!》といった身うちあての冗談音楽のみならず、大曲のあちこちにも現れる。ただしそれは、ハイドンの機知に富んだ笑いとも、モーツァルトの毒のきいたシニカルな笑いとも、大いに違う。それは、どちらかといえば強引で力業の笑いだ。鬱陶しい現実を、笑いの力で無理やりねじ伏せるような。

 実はそのことを教えてくれたのは作曲家・間宮芳生さんで、水戸芸術館の企画運営委員をされていた間宮さんは、水戸芸術館の演奏会で『怒りと哄笑のスケルツォ』という企画をされた(もう16年も前だ)。ベートーヴェンの作品の中から、スケルツォ楽章が特に強烈と間宮さんが感じられるものを選んで構成したのだ。この演奏会には「ハイリゲンシュタットの遺書をめぐって」という副題がついていて、ベートーヴェンが難聴に悩んで自殺も考えた時期のピアノ・ソナタ作品27の1も選ばれていたのだが、「怒りと哄笑」の代表選手として選ばれたのはチェロ・ソナタ第3番イ長調作品69と、弦楽四重奏曲第16番へ長調作品135の第2楽章。企画担当者だった僕はこれをリハーサルでくり返し聴き、その度に間宮さんが「これはもう異常な音楽だよね!」と感に堪えぬようにおっしゃるのを聞いて、なるほどと思った。癇癪が爆発するような旋律、たたみかけるリズム、突然音楽の流れを断ち切る急ブレーキや急カーヴ。笑っているのか怒っているのか。強いて言えば青筋を立ててなおかつ笑っているような表情。自分を取り巻く社会の矛盾を、虚偽を、欺瞞を、火炎を噴きつけるような大声で笑い、怒りとばす音楽。

 その後ベートーヴェンにすっかりはまった僕にとって、そのような「青筋を立てて笑う」代表例としてお勧めしたいのが《交響曲第8番》である。これは1812年、《第7番》とほぼ並行して作曲された交響曲。初演当時からの人気作である《第7番》に比べると、その人気はそれほどでもない。いや、ベートーヴェンの9曲の交響曲の中で、もっとも人気が低い方ではないか。《英雄》《第5(運命)》《田園》《第7》と型破りな構想と壮大な規模の交響曲を連発してきたベートーヴェンだが、この交響曲は30分以内のサイズにおさまり、古典的な構成による「先祖がえり」の交響曲という印象で語られることが多かった。
 だが、実際にはとてもそんな生易しいものではない。一度だって過去に後退することがなかったベートーヴェンが、生涯にたった9曲しか書かなかった(先輩モーツァルトは余裕で50曲以上書いている)交響曲、彼によってモニュメンタルなイヴェントになった交響曲を、そんな目的のために書くはずがない。

 ここにあるのは、古典的な交響曲のパロディであり、擬態であり、ここまでやらんと古典的な交響曲はもう成立せんよ、え、皆さんどうする?と胸倉をつかんで迫ってくる(なのに顔が笑っている)パンクなベートーヴェンだ。第1楽章、何の前触れもなく突然始まる第1主題の無闇やたらな陽気さ。ゲネラルパウゼ(全休止)による突然の中断をはさんで現れる第2主題は思いもかけぬ遠隔調。展開部に入ると音楽はめまぐるしい転調をくりかえしながら異常な緊張感を増してゆく。その頂点で再現部になだれ込み、何事もなかったかのような陽気さの回復。人を食った弱音での終結。そして、普通ならたっぷりした旋律にあふれた緩徐楽章が続くところ、ベートーヴェンが挟み込んだのは、まるでメトロノームのような(実際、そこから発想したという偽説まで出回った)振り子運動と極端な強弱が聴き手を翻弄する第2楽章と、「立派で貴族的なメヌエット」のふりをしつつ頻発するエコー効果がどこかとぼけた第3楽章だ。そして第4楽章!実は《第7番》以上にリズム的にはぶち切れており、転調の嵐のすさまじさといいほとんどジェットコースター級の音のトルネードに巻き込まれ、息つく間もない。最後のコーダ(終結部)はほとんど乱痴気騒ぎで、《英雄》や《第5》の「くどいまでのフィナーレ感」を自己パロディ化したかのように聴こえる。その力ずくのユーモアに、聴いた後なかば呆然としつつ、実にすがすがしい気分になる。《第5》にもし「運命との闘争」というドラマを読みとるならば、ここにいるのは運命を豪快に笑い飛ばすベートーヴェンだ。そして、ここまで交響曲でやらかしてしまったのだから、この先の交響曲はさらに何かを踏み越えなくてはならないだろう。かくして13年後、終楽章に合唱を導入するという破天荒な《第9》が誕生することになる。

 こういう曲を、「古典派のマナーに則って」粛々と端正に演奏したら、面白くもなんともない。《第8番》のような曲は、前述した「ピリオド楽器演奏」の恩恵にあずかるところ大だと思う。ブリュッヘン、ホグウッド、ノリントン、インマゼール、クリヴィヌといった指揮者たちによる演奏はどれも面白いが(いずれマルク・ミンコフスキの指揮で聴いてみたいと思う)、ここではニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団の演奏(全集録音)を挙げておこう。この全集録音はピリオド楽器使用ではないが、現代のオーケストラにその演奏理念を注入し、トランペットやティンパニなど部分的に「ピリオド化」したもの。硬質にして猛烈な推進力に富んだ演奏で、終楽章のとんでもなさを僕はこの演奏で真に体感できた。この種の演奏スタイルはその後すっかり世界基準となったが、20年前ながら、この録音は嚆矢にして不滅の革命性を備えた名盤だと思う。ちなみにアーノンクールという人は古楽演奏の開拓者であり闘士であるが、楽しい時すら怒っているようにしか見えず、実にまったくもってベートーヴェンと相性がいい。ピーマンやにんじんのおいしさを、みじん切りにして他のものに混ぜ込み目立たなくして食べさせるのではなく、よけいそのキャラを強調して「本当はこれがうまいんだ!」とこちらの目を開かせてくれるパンクなシェフなのである。

Text by 矢澤孝樹

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ベートーヴェン:交響曲全集 (ワーナー/テルデック WPCS11969~73)

[ディスク:1]
1. 交響曲第1番ハ長調 作品21 第1楽章:Adagio molto-Allegro con brio
2. 交響曲第1番ハ長調 作品21 第2楽章:Andante Cantabile con moto
3. 交響曲第1番ハ長調 作品21 第3楽章:Menuetto(Allegro molto vivace)
4. 交響曲第1番ハ長調 作品21 第4楽章:Finale(Adagio-Allegro molto e vivace)
5. 交響曲第3番変ホ長調 作品55≪英雄≫ 第1楽章:Allegro con brio
6. 交響曲第3番変ホ長調 作品55≪英雄≫ 第2楽章:Marcia funebre(Adagio assai)
7. 交響曲第3番変ホ長調 作品55≪英雄≫ 第3楽章:Scherzo(Allegro vivace)
8. 交響曲第3番変ホ長調 作品55≪英雄≫ 第4楽章:Finale(Allegro molto)
[ディスク:2]
1. 交響曲第6番ヘ長調 作品68≪田園≫ 第1楽章:田舎に到着した時の愉快な気分
2. 交響曲第6番ヘ長調 作品68≪田園≫ 第2楽章:小川のほとりの情景
3. 交響曲第6番ヘ長調 作品68≪田園≫ 第3楽章:田舎の人々の楽しい集い
4. 交響曲第6番ヘ長調 作品68≪田園≫ 第4楽章:雷雨と嵐
5. 交響曲第6番ヘ長調 作品68≪田園≫ 第5楽章:牧歌。嵐の後の喜びと感謝の気持
6. 交響曲第8番ヘ長調 作品93 第1楽章:Allegro vivace e con brio
7. 交響曲第8番ヘ長調 作品93 第2楽章:Allegretto scherzando
8. 交響曲第8番ヘ長調 作品93 第3楽章:Tempo di Minuetto
9. 交響曲第8番ヘ長調 作品93 第4楽章:Allegro molto
[ディスク:3]
1. 交響曲第2番ニ長調 作品36 第1楽章:Adagio molto-Allegro con brio
2. 交響曲第2番ニ長調 作品36 第2楽章:Larghetto
3. 交響曲第2番ニ長調 作品36 第3楽章:Scherzo(Allegro)
4. 交響曲第2番ニ長調 作品36 第4楽章:Allegro molto
5. 交響曲第5番ハ短調 作品67≪運命≫ 第1楽章:Allegro con brio
6. 交響曲第5番ハ短調 作品67≪運命≫ 第2楽章:Andante con moto
7. 交響曲第5番ハ短調 作品67≪運命≫ 第3楽章:Allegro
8. 交響曲第5番ハ短調 作品67≪運命≫ 第4楽章:Allegro
[ディスク:4]
1. 交響曲第4番変ロ長調 作品60 第1楽章:Adagio-Allegro vivace
2. 交響曲第4番変ロ長調 作品60 第2楽章:Adagio
3. 交響曲第4番変ロ長調 作品60 第3楽章:Allegro vivace
4. 交響曲第4番変ロ長調 作品60 第4楽章:Allegro ma non troppo
5. 交響曲第7番イ長調 作品92 第1楽章:Poco sostenuto-Vivace
6. 交響曲第7番イ長調 作品92 第2楽章:Allegretto
7. 交響曲第7番イ長調 作品92 第3楽章:Presto
8. 交響曲第7番イ長調 作品92 第4楽章:Allegro con brio
[ディスク:5]
1. 交響曲第9番ニ短調 作品125≪合唱≫ 第1楽章:Allegro ma non troppo,un poco maestoso
2. 交響曲第9番ニ短調 作品125≪合唱≫ 第2楽章:Molto vivace
3. 交響曲第9番ニ短調 作品125≪合唱≫ 第3楽章:Adagio molto e cantabile
4. 交響曲第9番ニ短調 作品125≪合唱≫ 第4楽章:(Index1)Presto-Allegro assai(Index2)Presto-Rezitativo(Index3)Allegro assai

指揮:ニコラウス・アーノンクール
管弦楽:ヨーロッパ室内管弦楽団

ベートーヴェン:交響曲全集 ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
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投稿者: : 2012年12月13日 投稿先 1.Classic(クラシック)

 

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