RSS

世界を飲みこむ交響曲―マーラー:交響曲第1番ニ長調《巨人》

08 5月

マーラー:交響曲第1番ニ長調《巨人》
» マーラー:交響曲第1番ニ長調《巨人》

 (前回からつづく)さて、規模の大きな作品に、特にオーケストラ曲に心惹かれるようになった僕は、前述の名曲アルバムにおまけとしてついていた音楽史のハンドブックを読み、ブルックナーやらマーラーやらリヒャルト・シュトラウスやら、クラシックの世界にはとんでもなく壮大かつ巨大な曲を書く作曲家が存在したことを知り、どんな曲なのだろうと妄想を逞しくしていた。 

 契機が訪れたのは小学校5年の終わりで、無謀にも児童会長なぞに立候補してしまった僕は信じがたいことに当選してしまう。で、ここで僕の祖父が登場する。この人が面白い人で、音楽やら本やらにうつつを抜かす孫を大いにプッシュしまくる。いずれは事業後継者にならねばならぬものを、別ルート(それもなんとすばらしい)をとらせてくれたのは、この祖父のおかげだと思っている。

 で、その祖父が、児童会長になった褒美だというわけで、当時のCBSソニーから出ていた通信販売の「交響曲大全集」というセットを買ってくれた。ハイドンからショスタコーヴィチまで入っているこのLPセットに僕が狂喜しまくったのは言うまでもない。最初に聴いたのはブルックナーの交響曲第4番で、この曲の冒頭の「原始霧」に一発でやられたことは水戸芸術館時代のブログ内の「回想」にかつて書いた通り。

 またここで突っ込みが入るはずだ、「ブルックナーやらなんやらと生意気な小学生だ。そんなものを本当にわかって聴いていたのか?」おっしゃるとおり。構造やら背景やら、まるでわかってはいなかったことは間違いない。でも、猛烈に感動したのだ。自分の持っていた小さな世界を根底からひっくり返されたのだ。

 学校教育の音楽鑑賞の道筋からすれば、いきなり後期ロマン派なんてとんでもないという話だろう。長いし、重いし、複雑。しかし、大事なことを忘れている。子供は、びっくりするような体験が好きだし、そこに知識や理論の裏付けは不要だ。いずれ必要になるとしても、出会いの瞬間は真っ白の方がむしろいい。

 要は、当時の僕にとってのクラシック音楽とは、とてつもなく非日常的な世界へ通じる扉だったということである。せっかくその世界を体験するなら、できるだけ飛距離は大きく、遠くへ飛ばしてくれる音楽がいい。それが、モーツァルトやベートーヴェンではなく、どでかい後期ロマン派の大交響曲だったということだ。

 ブルックナーのことを書いてもいいが、ブルックナーについてはずっと後になってまったく違う角度から観るようになったのでいつか書くことにして、ここではブルックナーに続いてはまりまくった作曲家、グスタフ・マーラー(1860~1911)の交響曲を取り上げよう。生前はむしろ指揮者として有名だったマーラーは、19世紀から20世紀への音楽の橋渡しをする11曲の大交響曲(番号なしの《大地の歌》と未完の《第10番》)を書いた。

 前述のセットに入っていたのは彼の最初の交響曲、第1番で、最終的には作曲者によって削除された《巨人》というサブタイトルもある。演奏はマーラーの直弟子ブルーノ・ヴァルター指揮するコロンビア交響楽団。とにかく小6の僕はこの50数分の大交響曲にしびれまくり、ひどいときは月に10回くらい聴いていた(まあ、学校から帰るたびにブルックナーの交響曲第8番を聴くことを「日課」にしていたオーボエ奏者→指揮者の宮本文昭さんに比べればかわいいもんですが)。

 ベートーヴェンの9曲の交響曲があまりにとてつもない内容と完成度で、後の作曲家は「ベートーヴェンの後で交響曲をいかに書くか」という命題に悩まされるわけだが、いちばん力業で交響曲の軌道を変えてしまったのはマーラーであるように思う。なにしろマーラーの交響曲には、世界がまるごと入っている。常識を超えた巨大編成と楽曲規模、古典的な楽曲構成と調性の約束事を完全に破ってしまうぎりぎりのところまで試される作曲技法。マーラーはその狂気すれすれの強烈な自意識のフィルターを通してその意識/無意識の中に飛び込んできた世界のあらゆる事象を交響曲という溶鉱炉の中で鍛え上げるのだ。そこでは人間の生と死、愛と憎しみ、理性と狂気がせめぎあい、自然が、街の喧騒が、英雄の勝利や悲劇が、天国と地獄が、高貴なコラールと場末の酒場で奏でられる流行り歌が、神と悪魔が、そして宇宙までもが、音楽という言語を通じて僕らの意識を横切り、語りかけてくる。「描写」ではなく、「そのもの」が聴こえてきてしまうことに、僕らは戦慄を覚えずにはいられない。当時の人々にとってあまりに斬新過ぎたこれらの音楽は、当然のごとく轟然たる賛否両論を呼んだ。《交響曲第1番》の初演を聴いた保守的な批評家ハンスリックはこう書いている―「私たちのどちらかが狂っている。そしてそれは、私ではない」。しかし、無意識の世界から宇宙まで、僕たちの知覚がとてつもなく広大に拡張された現代において、マーラーの交響曲はどれほど「世界のリアリティ」をとらえていることだろうか。

 能書きが長くなった。《第1番》を聴こう。24歳から作曲を開始し、28歳で完成させ、その後改訂をくり返して現在の形に至ったこの交響曲には、青年マーラーの夢と挫折、希望がいっぱいに詰まっている。彼の恋愛の挫折と克服が背景をなしているそうで、初期稿には各楽章にいろいろタイトルがついていた。また、いまだに使われる、ジャン・パウルの《巨人》という小説からとったサブタイトルもいろんなドラマを想像させるが、こうした「物語」を全部取り去った上でも、いやむしろ取り去ったからこそ、とてつもなく起伏に富んだ音楽のドラマであることがわかる。何を思い描くかは、聴き手それぞれにまかされている。

 第1楽章、弦楽器群がハーモニクス奏法で延々と引き延ばすAの音で始まる冒頭から、もうこの世ならぬ超自然的な世界だ。鳥の声がそこに介入し、舞台裏のトランペットがファンファーレを奏で、さまざまな楽想の断片がいつしか集積しながらゆっくりと巨大な生命が目覚めるように音楽が動き始める。奏でられる主題は彼の歌曲と密接な関係を持ち、全部歌えるほど親しみやすい。なんという心ときめく始まりだろう。最後にはファンファーレ轟くお祭り騒ぎになるこの楽章が閉じられると、すぐに農民舞曲のような力強い第2楽章がつづく。ここまでの快活な印象は、第3楽章の不気味な葬送行進曲で暗転する。コントラバスが奏でる民謡《フレール・ジャック》短調ヴァージョンがカノン風に奏でられ、悲しみと言うよりは皮肉で毒の聴いた葬送行進曲だ。中心部に自作歌曲のはかなげな引用があり、してみるとこの楽章は自らの恋愛のシニカルな葬送の歌にも聴こえてくる。遠ざかる行進曲が消えると、間髪いれず全オーケストラが轟く長大かつドラマティックな第4楽章。嵐の様な主部(実は第1楽章の旋律と密接な関係が)と情熱的な旋律が交替し、何度も解放と勝利の幻影を見ながら、音楽は突然第1楽章の冒頭に戻ってしまう。最初に聴いたとき「ええっ!どうなるのこれ!」と驚いたものだ。実際、第1楽章と似たような展開で音楽はふたたび盛りあがって行くのだが、最後に堰を切ったようになだれ込むのは、その数倍も壮絶な勝利の凱歌。これでもかと咆哮するオーケストラ。ライヴでこの曲を聴くと、マーラーの楽譜の指示に従ってホルン奏者が最終部分で全員立ちあがることがあり、その格好いいこと。推薦盤はマーラーをこよなく愛したアメリカの大指揮者、レナード・バーンスタイン(《ウェスト・サイド・ストーリー》の作曲者としても有名)が晩年にアムステルダム・コンセルトヘボウ(現在ロイヤル・コンセルトヘボウ)管弦楽団を指揮して録音した、マーラーが憑依したかのごとき超濃厚な超名演。

 圧倒的なフィナーレ。ところが、マーラーの交響曲はこれで「終わらない」。次にマーラーが書く交響曲第2番《復活》は、この勝利の凱歌を歌い上げた「英雄」の死を弔う葬送から始まる。1時間20分におよぶこの大交響曲は、最後の審判とそこからの復活を描き、最後には合唱とオルガンが加わり…。こうやって、マーラーの音楽は一度はまった人間を最後の音符に至るまでつきあわせるのだ。最後の未完の第10番で、マーラーは妻アルマとの破綻した愛と、噴出する無意識の狂気を描いた。最後に「個」に戻ったマーラー。しかしその音楽の破れ目からは、21世紀の現在まで飲みこむ広大な宇宙が見える。

Text by 矢澤孝樹

—————————————————————————————————-
グスタフ・マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」

1.交響曲第1番ニ長調「巨人」 第1楽章:Langsam.Schleppend.Wie ein Naturlaut-Im Anfang sehr gemachlich
2.交響曲第1番ニ長調「巨人」 第2楽章:Kraftig bewegt,doch nicht zu schnell-Trio.Recht gemachlich
3.交響曲第1番ニ長調「巨人」 第3楽章:Feierlich und gemessen,ohne zu schleppen
4.交響曲第1番ニ長調「巨人」 第4楽章:Sturmisch bewegt

指揮:レナード・バーンスタイン
演奏:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

マーラー:交響曲第1番ニ長調《巨人》
» Amazonで詳しく見る

—————————————————————————————————-

広告
 
コメントする

投稿者: : 2012年5月8日 投稿先 1.Classic(クラシック)

 

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

 
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。